大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和32年(行)45号 判決 1971年4月22日

原告 東北農事株式会社

右代表者代表取締役 佐藤貞

右訴訟代理人弁護士 長野国助

同 中野道

同 渡辺卓郎

同 今村滋

同 関根俊太郎

被告 国

右代表者法務大臣 植木庚子郎

右指定代理人 難波理平

<ほか一名>

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

原告

「被告が原告に対し昭和三〇年一月二六日付をもって農地法一四条の規定に基づきなした付帯買収処分は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。

被告

本案前の申立てとして、「原告の訴えを却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

本案の申立てとして、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。

第二原告の主張

(請求の原因)

一、被告は、昭和三〇年一月二六日付をもって、同年三月一日を買収期日として、農地法一四条の規定に基づき、原告に対し、その所有にかかる物件を買収する処分(以下「本件付帯買収処分」という。)をした。

二、しかし、本件付帯買収処分は次の事由により無効であるから、原告は、その旨の確認を求める。

1、本件付帯買収処分にいたる事情

(一) 原告は、昭和一八年四月一六日設立され、昭和三〇年当時は別紙物件目録(一)の施設(以下「本件施設」という。)を利用して干拓事業を営むことを目的としていた会社である。ところで、訴外山田貞作は、明治三九年ごろ、福島県相馬郡八沢村、磯部村、日立木村の三個村にまたがる太平洋に面した海岸の沼沢地八沢浦約三四〇町歩(三、三七一、九〇〇平方メートル)について干拓事業を起し、三〇余年の歳月を費してようやく完成したものであるが、右の八沢浦干拓地(以下「本件干拓地」という。)は海面より約一・三メートル低く、ために同地の周辺約一、〇〇〇町歩(九、九一〇、〇〇〇平方メートル)の土地から汚水が流入するのみならず、地下よりほぼ一定量の塩水が湧出するので、本件干拓地の周辺には物件目録(一)記載にかかる溜池等の淡水溜池(以下「本件溜池」という。)が設けられ冬期においては、本件溜池から本件干拓地に淡水を導入して湛水し、この湛水の水圧により塩水の湧出を迅速ならしめ、本件干拓地と右海岸の丘陵に設けた堀割および隧道の排水路を通じ、前記海岸に設けられた排水ポンプ設備により海面に右の汚水および塩水を排出し、春期以後の水田経営のために本件溜池から本件干拓地の水田に水路を通じて淡水を導入する配水施設も設けられた。これが本件施設であるが、要するに本件干拓地をして農耕を可能ならしめる機構である。そして、それら農業用施設たる海門、堀割り、隧道、溜池、排水機、送電施設等のために費した経費は実に莫大なものであったが、その後さらに種々の改良が加えられ、昭和一六年ころには右施設を使用し、水田農耕を主たる目的とする八沢村産業株式会社が設立された。原告会社は、昭和一八年四月一八日後記本件農地とともに本件施設を譲り受け、これを利用して干拓事業を営むとともに、その農耕事業をも承継したものである。

(二) ≪省略≫昭和二二年一二月二日本件干拓地のうち二八〇町歩(二七七六〇〇平方メートル)(以下「本件農地」という。)が自作農創設特別措置法(以下「自創法」という。)により買収された。

(三) しかるところ、本件農地を買収するにあたっては、当然本件施設をも買収すべきであって、本件施設が本件干拓地の運営を唯一の目的として設置され、かつ、本件農地は本件施設を利用してはじめて農地としての効用を全うするものなることはほとんど自明の理であるにかかわらず、当時の八沢村農業委員会は原告の切なる申入れを無視し、なんら正当の理由もなく、本件施設の買収を拒否し、≪省略≫。

(四) ついで福島県知事は、原告に対し、農地法所定の手続きで買収するが、その対価については金二〇〇万円(別に土地改良区より金五〇万円)とする以外には買収の意思なしとして、その旨申込をしたが、昭和三〇年一月現在における本件施設の時価は少なくとも約一億円を下らないものであった。しかし、当時極度に窮迫していた原告は、やむなく右の申込に応じ、昭和二九年一二月二五日付で原告と、福島県知事(代理人福島県農地部長)間に、①買収は農地法の手続きによる買収処分とする②対価は二〇〇万円とし、別に訴外八沢干拓土地改良区において金五〇万円を原告に支払う旨の契約が締結された。

2、本件付帯買収処分無効理由

(一) 農地法の規定に基づく買収については、買収対価の算出方法は同法一二条、同法施行令三条三項の規定により定められているのであるから、福島県知事においてこれを任意に定めることができないことはもちろん、たとえ当事者の合意によるも同法令の規定によらないで買収対価を算出することは許されないと解すべきである。≪以下事実省略≫

理由

一  原告の本訴請求は、被告が昭和三〇年一月二六日付農地法一四条の規定によってなした本件付帯買収処分の無効確認を求めるものであるところ、被告は、本件付帯買収処分については不起訴契約があるから、本件訴えは権利保護の利益を欠く旨主張するので、この点を検討する。

1  昭和二九年一二月二五日、原告と八沢干拓土地改良区および福島県知事との間に覚書が作成され、右覚書中に、相馬郡鹿島町(旧八沢村)ならびに相馬市(旧磯部村)に所在する別紙物件目録(三)Aの農地、別紙物件目録(一)記載の土地物件(溜池)ならびに排水および農業経営に必要な一切の設備、工作物を農地法九条ならびに同法一四条および同法一五条の規定により総額二〇〇万円を限度として買収されることについて、所有者である原告は異議、訴願および訴訟等は一切しない旨の不起訴契約条項があることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を綜合すると、昭和二二年当時八沢浦干拓地においても、いわゆる農地解放が行なわれることとなって自作農創設特別法の規定に基づき農地の買収がなされ、小作人に対する買収農地の売渡しが行なわれたこと、原告と八沢干拓地を耕作する干拓農民とは昭和二〇年来干拓地および本件溜池その他の干拓施設の利用をめぐる権利関係について紛争を続けていたので、当時福島県農地部長の職にあった訴外山下哲が右紛争解決をあっ旋することになったこと、当時本件溜池の海口閘門ならびに排水機その他の農業用施設は、旧来からの維持、管理が十分でなく、またその構造上の欠陥もあって、老朽の極に達していたため、これを放置するにおいては、その後の干拓地での農業経営に非常な支障を生じ、干拓農民は大きな損失を被る恐れがあったので、福島県当局は、農林省に申請して干拓地の農業施設の改修事業を行なうこととなり、昭和二八年ころ右事業の実施を確定し、昭和二九年の事業としてこれを行なうこととなったが、右のように原告と干拓農民との間に紛争が続いていては、事業のための予算の獲得等に悪影響を及ぼし工事が遅延する恐れがあり、両者間の紛争の早期円満解決が望まれていたし、また原告や干拓農民達の側からも県当局に対して右紛争の解決方のあっ旋を希望する旨の申入れが何回もなされたこと、そこで県当局としては、農地法の規定に基づいてこれら関係農地、施設等を買収したうえ干拓農民にこれを売り渡して干拓地における農業経営の安定を図るべく、両者間のあっ旋を行ない、昭和二九年一二月二五日福島県鹿島町役場に関係者ならびに鹿島町長、同町会議長らが出席し協議した結果、原告、八沢干拓土地改良区および福島県農地部長の間に前記覚書が交換されて円満妥結をみたこと、右覚書一項に農地法の規定により総額二〇〇万円を限度として買収とあり、また覚書三項には、農地法の規定に基づく買収対価のほかに八沢干拓土地改良区すなわち干拓農民の側から五〇万円が原告に支払われることとなっているが、これらの趣旨とするところは、原告は当初農民に対し四〇〇万円程度の金員の支払いを希望したが、やがて二五〇万円ならば大体よかろうということにまでなったけれども、当時の農民の側としては窮乏の極に達していたため、二五〇万円の金員を支払うことは、現実問題として不可能であったので、農地買収とあわせて付帯買収を行なえば、この売渡しを受けた農民達も、二四か年の年賦で売渡代価を支払えば足りるので、これを買収して農民達に売渡すこととし、その買収価額も農地法および関係法令の規定に基づき算出すると二五〇万円足らずとなったので、これを二五〇万円とすることが考えられたが、干拓農民の側になお従来からの原告との紛争にこだわることもあって不満があったけれども、県当局としては、この際は大局的見地に立って紛争を解決したうえ県当局の行なう事業に協力し、一日も早く工事を完成させることが農民の利益になるゆえんであることを説得した結果、買収価額は総額二〇〇万円を限度とし、別途八沢干拓土地改良区から五〇万円を支払うことで干拓農民側もこれを諒承し、原告の側でも金額に若干の不満があったが、最終的には前記の覚書のとおり解決をみるにいたり、原告代表取締役佐藤貞は、山下哲に対し、その後しばらくして礼状を寄せたことがそれぞれ認められ(る。)≪証拠判断省略≫

2  そして、≪証拠省略≫を綜合すると、被告が別紙物件目録(三)Aの各農地の買収処分(買収対価のうち原告を相手方とする分は三九、六三六円、佐藤貞(原告代表者)を相手方とする分は六、六二二円)をなすに際しあわせて本件付帯買収処分をしたこと、前記覚書にいう「排水および農業経営に必要な一切の設備、工作物」としては、別紙物件目録(一)土地表示記載の土地物件(溜池)のほか、同目録(一)物件表示(1)ないし(14)記載の施設がこれに該当するが、このうち原告所有の物件は別紙物件目録(一)土地表示記載の土地(溜池)および別紙物件目録(二)表示の(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)、(12)の各施設(本件付帯施設)であった。(3)、(9)、(10)、(11)、(13)、(14)の各施設は原告の所有物件ではなかったこと、本件付帯買収処分はその権限を有する所轄農業委員会において適法に所定の手続きを進めて行なわれたこと、福島県知事において所部の職員として農地法その他関係法会の規定に従って計算させた結果、本件付帯施設の買収対価は二、四二九、六六二円となったが、本件付帯買収処分の買収令書には対価として一、九五三、七四二円三二銭と記載されたこと、および以上のような経緯を経て本件付帯買収処分が行なわれ、買収令書記載の買収対価のほか、前記覚書記載の五〇万円が原告に支払われたことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

3  以上の事実によると、福島県知事は原告との間に別紙物件目録(一)記載の土地物件(溜池)ならびに排水および農業経営に必要な一切の設備、工作物を農地法一四条の規定により二〇〇万円を限度として買収されることについて所有者である原告は異議、訴願(審査の請求)および訴訟をしない旨の合意に達し、その趣旨に沿って本件付帯買収処分がなされたというべきであるから、右合意により本件付帯買収処分に係る権利保護の利益は抛棄されたものと解するを相当とする。したがって、本件付帯買収処分の無効確認を求める原告の本件訴えは権利保護の利益を欠くといわなければならない。

二  原告は、被告主張の不起訴契約は福島県知事と原告との合意によって定めた農地法一四条による買収手続、対価に係るものであるが、同条の買収対価については同条一二条、同法施行令三条三項の規定によるべきであって、右両者間で自由に契約することはできないというべきであるから、かような合意に係る買収対価についての不起訴契約は無効であり、また、憲法三二条は行政処分についても訴権を保障しているというべきところ、被告主張の不起訴契約は訴権の抛棄にほかならないから右憲法の条項に違反し無効であると主張するが、いわゆる不起訴契約は、訴権の抛棄を趣旨とする合意ではなく、単に権利保護の利益の抛棄にとどまるものであり、かく解する限りにおいて有効と解されるところ、被告主張の不起訴契約が、権利保護の利益を抛棄する趣旨のものであることは前判示のとおりであるから、有効と解するを相当とする。もっとも、不起訴契約が公序良俗に反するときは無効であることはいうまでもないが、本件において被告主張の不起訴契約(行政契約の一種)が公序良俗に反するものでないことは前示認定に徴し明らかである。なお、憲法三二条が保障する裁判を受ける権利は、法律上裁判を受ける利益すなわち権利保護の利益を前提とするもので、右利益の有無にかかわらず、常に本案についての裁判を受ける権利を保障したものではない(最高裁三五、一二、七、民集一四巻二九六四頁参照)。それゆえ、原告の右主張はいずれも理由がないといわざるを得ない。

三  よって、本件訴えは権利保護の利益を欠くものとしてこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉本良吉 裁判官 高林克己 裁判官仙田富士夫は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 杉本良吉)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例